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カテゴリ:児童虐待

結婚出産精神崩壊

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私は、年季の入ったメンヘラというかガチの精神病患者なわけですが、運の良いことに結婚していて、割と出来のいい子供 (今現在9歳) までいます。
ちょうど、「夫との出会い〜出産後1年」くらいまで、比較的病状がが安定していたからこそ、これらが可能だったのでしょう。

まあ、夫が以前語ったことによれば、「この子を放っておけば悪いことが起こる」と思って結婚したらしいですが(笑)
たしかに、あのタイミング (出会って3ヶ月くらい) でプロポーズしてくれていなかったら、私はまたフラフラと闇の中へ消えて行っていたかもしれません。夫の直観力に感心するとともに、この私の人生を背負い続ける決意をした勇気に感謝します。

結婚してから半年ほどの間に、自傷を伴うOD(薬のドカ飲み)で2回緊急搬送されました。

2回目は外科に入院したのですが、その日はちょうど地元の祭りの日でした。意識が戻ったとき、病室まで聞こえてくる陽気なリズムの中、夫が青い顔で私のベッドの横に身じろぎもせず座っていたのを覚えています。

そのあと、私は当時服用していた抗鬱剤と睡眠薬を減薬し始めました。妊娠したかったからです。抗鬱剤の減薬は一進一退で、一年くらい掛かったと記憶しています。
睡眠薬を止めるのはもっと難しかったので、「2晩くらい寝られなくてもいいや」と、心の持ちようを変えるようにしました。

そして薬が体から抜けた後にあれやこれやで、10ヶ月経って息子爆誕。

息子が産まれた瞬間に、心を占めていた「自分自身の存在価値を問う系」の悩みはすべて消えました。 生物としての役割を果たしたからでしょうかね?

その後、頑張りのリミットが無いせいで、子育てを完璧にやりすぎて、1年でノイローゼに。子供を保育園に預けて働きに出ることにしました。

そして、その仕事が原因で、3年後に記憶喪失を伴う精神崩壊を起こし、太ももに刃物で「HELP ME」と刻んで、精神病院に入院。
 
息子が手作りの謎のオブジェを持ってお見舞いに来てくれたのを覚えています。
入院中は、夫が育児と家事を一人で担ってくれました。

このときの入院前にも、母が夫の実家に電話を掛けて、たまたま電話に出た父上様を恫喝したらしく (詳しくは知らされていないのですが) 父上様はかなり憔悴していたということで、本当に申し訳ないです。

私は夫のせいで狂ったのではなく、
生育環境のせいで狂うべくして狂ったのですのに。

ちなみに私は精神科に4回、中期入院していますが、親が見舞いに来たことは一度もありません。


写真は私と子供1歳

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私は20代の一時期、とても優しい美青年と付き合っていました。これで文句言ったらバチがあたるよ、と言いたくなるような恋だったのですが、実情はとても苦しいものでした。

私はいつも彼を責め、罵り、精神的にズタズタにしていました。
極限まで追い込まれた彼が涙を流すこともありました。

最終的には、
「一番好きな人なのに、こんなに傷つけてしまうのはもう嫌だ」
という理由で、私から別れを告げました。

一番多く私が口にしていたのは 

「ちゃんと今、私が話したことを聞いていましたか!?3分前まで巻き戻して、私が言った通りに復唱してみなさい!!」

というようなことでした。トータルで100回近く言ったんじゃなかろうかと思います。

一ヶ月くらい前にした会話についても、相手が忘れていたら激昂していました。

私の理屈は、
「本当に私を愛しているなら、私が発した言葉は一字一句完璧に覚えていられるはずでしょう!」
当時の私は驚異的な記憶力を持っていたため (過去3年分の映像記録が時系列で頭に入っており、自由にそれを取り出すことが出来ました)、他人にもそれを求めてしまったのです。

病気と薬のせいで脳がダメになってしまい、生まれて初めて
「ものを覚えていられない、忘れる」
ということを経験しました。

そして反省しました。
彼には悪いことをしたと思います。

自分自身が弱者になったせいで、多少他人に優しくなれたというのは、病気になって「良かった」ことのひとつかな、と思っています。

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私は、息子に対してすら嫉妬を覚えて、その感情を抑えるのが大変だった時期がありました。(そういう感情を持ってしまう自分への失望も相当なものでした)

嫉妬の内容は、
「幸せに育ってずるい」
という、非常に子供じみた、しかし切実なものでした。
自分の生育環境と比べてしまうのです。

これが娘だったら、さらにバージョンアップして、いちいち細かく自分と娘との境遇の違いを比較していたかもしれません。
正気を保つのは難しかったでしょう。しかし、完璧なお母さんでいるために、それらの感情を全て圧縮して、飲み込んで......

娘を虐待しないために頑張った1日のあと、私はすべての怒りを自傷行為として吐き出していたかもしれません。

娘に関することは、全て想像です。
実際に娘がいたとしたら全然違った現実だったかもしれません。
息子と同じように、良い関係を築けたもしれません。
ただ、私には自信が無いのです。

.......はて、どうして私は「もし自分が女の子を生んでいたら、という話題にこだわるんでしょうね?



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私は主治医から
「貴女は理性と知性だけで無理やり形を保っているような人ね」
と言われたことがあります。

責任を負うことに関しては完璧主義です。

しかし、責任を自分が一手に引き受ける育児 というのは、ゴールも正解も無い、暗闇の中を手探りで進むような作業です。

私は虐待児童だったからこそ、自分の子供には絶対に、自分がしたような思いはさせたくないと心に誓っています。

そうするとどうなるか。
自分が想像する究極のお母さんを演じるしか無くなるわけです。
私はこれを、パーフェクトマザー願望と呼んでいました。

3歳くらいの、まだ "お母さんの限界" などには理解のない息子が、分厚い本(図鑑系)を読めと持ってくる。
読んでやる。
もう一度読んでと言われる。
読んでやる。
一回読むのに30分程度掛かる本を、毎日6回ほど繰り返し読まされていた時期もありました。当然6回目は声ガサガサ、喉は痛み、咳払いを何度もしながら必死で読むような状況でした。

5歳の頃の公園遊びもハードでした。ママ来て!と言われると断れない。大人が座ってギリギリ入れるくらいの藪のトンネルを息子が駆け巡る。私は座った姿勢のまま全速力でそれを追いかける。日が暮れるまで。

断れない。

どこまで子供の相手をしたらいいのかわからないから、求められるままに応じるしかない。

結果、私が入院しました。
気が狂うほど暑い夏の昼間に、マウンテンバイク用のコースで追っかけっこをした後のことでした。


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私は、自分の大体の人格を把握しているつもりですが、「6歳ちゃん」だけは、神出鬼没で全く意思疎通することが出来ません。(漫画で、夫に対して「このパパは殴らないの?」と訊いていた人格)

彼女が「私」のコントロール権を持ったときは、他の人格はシャットアウトされ、記憶も残りません。
というわけで、彼女に関する話は、夫から聞くより他は無いのです。

しかし、夫から聞く「6歳ちゃん」は、本当に子供じみていて、本当に私が6歳だった頃の様子 (大人びた子供) とは全く別人のようなのです。

そのことについて、主治医に問うてみたところ

「乖離して出来上がった人格というのは、ある一部分が誇張されていたり、"本当はこういう私でいたい"という願望であったりします。だから子供時代の貴女そのものではないことは普通なのよ。
あと、全く記憶に残らない、というのは、"扱いきれない" ことに対する防御反応のことが多いわね」

とのことでした。
「6歳ちゃん」は、私にとって扱いきれない存在なのか......。

でも、いつか「6歳ちゃん」とも記憶を共有できたらいいな、と思います。

余談。
このような幼い人格が残っている場合、人格全体でみた場合の平均年齢が下がるそうです。実際私は年齢の割に若いです(良い意味でも悪い意味でも)。

また、これを抜きにしても、人格が分割されているために個々の人格の成熟が遅く、私は年齢の割に若......(後略)

(人格が統合されている健康な人の場合、全人格で人生経験を同時に積んで成長していきますよね。
私は、バラバラだから、"ある人格が体験していても、他の人格は体験していない"...という事態がおこり、体験していない人格は置いてけぼりを食うわけです)

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