雅代の忘備録

カテゴリ: メンタルヘルス

変な話題ですが、割と大切かもしれないので、私の経験を書いておきます。

以前は手術にも使われるメスで切っていたのですが、あまりにも切れるので、正気のときに廃棄しました。

カッターは使ったことがありません。
最近まで私が使っていたのは、薬局で売っている昔風の剃刀です(小さい包丁みたいな形のやつ)。

以下、場所別に自傷のリスクを書いて行きます。

上腕外側を切ると、簡単に深く切れるので、年単位で割と派手な跡が残ります。
そして、神経を損傷する確率が高く、数日間、腕全体に痛みが出ます。

前腕の "手の甲側" は (いわゆるアームカット)、これも簡単に深く切れるので年単位でひどい傷跡に悩まされます。
神経損傷のリスクが少なく、後日不快な思いをしたことが無いので、私は主にアームカットをしていました。(ゆえに見た目が大変なことになっています)

そして、その裏側。リストカットと呼ばれる部位です。ここは深く切りにくいので、跡が残ったとしても白い跡や 白い盛り上がりのみです(私の場合)。
ただ、手のひらの付け根から10センチほど、縦に切ったことがあるのですが、神経に触ったせいで、手首から先、つまり手の部分が痺れたり痛んだりして数日間不快でした。 もうしません。

太ももはいくらでも切れますし、白い脂肪を観察できて面白いですが、何年たってもケロイドやしこりが残るので、その点では最悪です。

首は、注射針をブサブサ刺しても意外と平気でした。さすが急所、守りが固いです。 頚動脈まで切り開くのは相当な力がいると思います。痛いだけで終わるのがオチでしょうし、リンパ節などを傷つけて具合が悪くなるかもしれません。重要な機関が集まっているので、なるべくノータッチでいきたいところです。

針を刺すのは傷跡が残らないので便利かなと思ったのですが、医療用の使い捨てのものを使ったとしても、感染症の危険があるので避けるように、と主治医に言われました。

自傷した次の日は、体がだるかったり、微熱が出たりすることも多いです。

以上、私の経験でした。ご参考までに。

ちなみに、最近は自傷をしようとすると頭の中で「やめたほうがいいよー」という大声が鳴り響くようになったので、自傷回数が大幅に減りました。

自傷をしているのは比較的若い人格で、それを年上の人格が諭しているのだと思います。
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私は、年季の入ったメンヘラというかガチの精神病患者なわけですが、運の良いことに結婚していて、割と出来のいい子供 (今現在9歳) までいます。
ちょうど、「夫との出会い〜出産後1年」くらいまで、比較的病状がが安定していたからこそ、これらが可能だったのでしょう。

まあ、夫が以前語ったことによれば、「この子を放っておけば悪いことが起こる」と思って結婚したらしいですが(笑)
たしかに、あのタイミング (出会って3ヶ月くらい) でプロポーズしてくれていなかったら、私はまたフラフラと闇の中へ消えて行っていたかもしれません。夫の直観力に感心するとともに、この私の人生を背負い続ける決意をした勇気に感謝します。

結婚してから半年ほどの間に、自傷を伴うOD(薬のドカ飲み)で2回緊急搬送されました。

2回目は外科に入院したのですが、その日はちょうど地元の祭りの日でした。意識が戻ったとき、病室まで聞こえてくる陽気なリズムの中、夫が青い顔で私のベッドの横に身じろぎもせず座っていたのを覚えています。

そのあと、私は当時服用していた抗鬱剤と睡眠薬を減薬し始めました。妊娠したかったからです。抗鬱剤の減薬は一進一退で、一年くらい掛かったと記憶しています。
睡眠薬を止めるのはもっと難しかったので、「2晩くらい寝られなくてもいいや」と、心の持ちようを変えるようにしました。

そして薬が体から抜けた後にあれやこれやで、10ヶ月経って息子爆誕。

息子が産まれた瞬間に、心を占めていた「自分自身の存在価値を問う系」の悩みはすべて消えました。 生物としての役割を果たしたからでしょうかね?

その後、頑張りのリミットが無いせいで、子育てを完璧にやりすぎて、1年でノイローゼに。子供を保育園に預けて働きに出ることにしました。

そして、その仕事が原因で、3年後に記憶喪失を伴う精神崩壊を起こし、太ももに刃物で「HELP ME」と刻んで、精神病院に入院。
 
息子が手作りの謎のオブジェを持ってお見舞いに来てくれたのを覚えています。
入院中は、夫が育児と家事を一人で担ってくれました。

このときの入院前にも、母が夫の実家に電話を掛けて、たまたま電話に出た父上様を恫喝したらしく (詳しくは知らされていないのですが) 父上様はかなり憔悴していたということで、本当に申し訳ないです。

私は夫のせいで狂ったのではなく、
生育環境のせいで狂うべくして狂ったのですのに。

ちなみに私は精神科に4回、中期入院していますが、親が見舞いに来たことは一度もありません。


写真は私と子供1歳
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一晩につき12時間かそれ以上寝る生活が続いているので、月日の経つのが早い。

それに加え、私が一年のうち割と正気&元気でいられる期間を数えてみたら、ぴったり6ヶ月だった。半分しか生きてない!!

8月くらいからおかしくなり始めて、2月半ばまで、具合が悪く制約の多い期間が約6ヶ月。

2月下旬から7月下旬までの6ヶ月は、割と動ける。

というわけで今から7月までに何か有意義なことをせんとなあ。
花の命は短くて〜
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前回の続き
「私の話を、夫が受け取めきれない」
ことについて夫と話し合いはしたものの、そのあと私は少しおかしくなってしまっていました。

何を話して良いのか、悪いのか、わからなくなってしまい、口が動かなくなってしまったのです。

私が話したら夫が嫌な顔をするかもしれない、というのは恐怖です。どんな形であれ夫に拒絶されたら私は壊れてしまいます。

結局、押し黙ったまま1日潰してしまいました。少しおかしくなっていたので、思考も停止気味で、元に戻れずにいました。

突破口を作ってくれたのは息子でした。
私にとって、とても嬉しいニュースを持って帰ってきてくれたのです。

「ああ、それは素晴らしいね」
とすんなり声が出て、笑顔も戻り、夫への恐怖も薄れました。
息子に助けられることは多いです。

その後少し考えて、夫にも私にも負担の少ないであろう会話術 (自己流) を試み始めました。
「××って、こうなんだって」
と、まずは一文で完結するように話題を振り、それを聞いた夫の反応を見てから、そこで止めるか、続けるかを決めるのです。
止めたとしても、一応完結しているので、こちらが受けるダメージも少ないというわけです。

上手くいくといいな。


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私は20代の一時期、とても優しい美青年と付き合っていました。これで文句言ったらバチがあたるよ、と言いたくなるような恋だったのですが、実情はとても苦しいものでした。

私はいつも彼を責め、罵り、精神的にズタズタにしていました。
極限まで追い込まれた彼が涙を流すこともありました。

最終的には、
「一番好きな人なのに、こんなに傷つけてしまうのはもう嫌だ」
という理由で、私から別れを告げました。

一番多く私が口にしていたのは 

「ちゃんと今、私が話したことを聞いていましたか!?3分前まで巻き戻して、私が言った通りに復唱してみなさい!!」

というようなことでした。トータルで100回近く言ったんじゃなかろうかと思います。

一ヶ月くらい前にした会話についても、相手が忘れていたら激昂していました。

私の理屈は、
「本当に私を愛しているなら、私が発した言葉は一字一句完璧に覚えていられるはずでしょう!」
当時の私は驚異的な記憶力を持っていたため (過去3年分の映像記録が時系列で頭に入っており、自由にそれを取り出すことが出来ました)、他人にもそれを求めてしまったのです。

病気と薬のせいで脳がダメになってしまい、生まれて初めて
「ものを覚えていられない、忘れる」
ということを経験しました。

そして反省しました。
彼には悪いことをしたと思います。

自分自身が弱者になったせいで、多少他人に優しくなれたというのは、病気になって「良かった」ことのひとつかな、と思っています。
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