雅代の忘備録

ヒルドイドゲルと同一成分の医薬品
「アットノン」
 
当初は主婦のあかぎれ薬として別名で売り出していたようですが、
「自傷の跡が消える、古傷のシコリ、ケロイドの盛り上がりにも効く」
という口コミが広がり、最近は主にそのような目的の薬として売られているようです。

早速、私も購入し、
「時々塗り忘れるけど、なるべく風呂上がりに塗る」
...くらいのテンションで、2ヶ月ほど使ってみました。

したらばコレ。マジで効くでないかい。

私の腕全体を載せてしまうとグロいので、一部分だけを切り出して比較写真を作りました。

赤い三本線 (ケロイド) の色が抜けてきています。
また、その左にある細くて白い盛り上がり、これは5年ほど前の傷なのですが、盛り上がりが平坦になってきています。塗り続けることにより、さらに改善されるでしょう。 


左腕がアームカットのせいで(私は手首側ではないほうを切るので、リストカットではなくアームカット)、かなり酷いことになってしまっているので、"夏は周りに人が寄り付かない" 状態だったのですが、これでなんとか少しだけ社会復帰できそうです。

ありがとうアットノン!

商品へのリンク 

いま、睡眠薬についての話を書こうとしていたのですが、何かが心に引っかかったので過去記事を見たら、既に書いてありました。書こうとしたことと、同じことが書いてあったのです。
多分、私と同グループ(後述)に属している、別の人格が書いたのでしょう。

というわけで、ブログに同じことが書いてあるときは、「違う人が書いたんだな」と思ってください(笑)

私は、
「毎回会うたびに印象が違う」
「インパクトのある顔なのになかなか覚えられない」
と、複数の人から言われたことがあります。本当に何度も聞いたセリフです。

それは、その人たちが、私の持つ複数の人格に会っているからではないかと最近思うようになりました。

私は、「雅代グループ」という人格の集合体を持っており、そこに所属している人格は、"ほぼ私である" と言って良いでしょう。ただ、標準語をしゃべる人格群と、関西部をしゃべる人格群に分かれていたり、各々ファッションや芸術に対する嗜好が違ったりします。
しかしながらモラルや記憶はある程度共有されていますので、もし貴方が私に複数回会い、標準語をしゃべる私と関西弁をしゃべる私、メイクや髪型が極端に違う私に遭遇したとしても、たぶん会話は普通に成立するでしょう。

私は、もう、これでいいと思っているのです。無理やり人格を統合して一時的に廃人になるより(人格を統合するにはPTSDの治療が必要になります。これは心のブラックボックスを開けるようなものですから、私はそのあいだメチャクチャな状態になるだろうと主治医から言われています)、全人格の約半分ほどを占めている「手のつけられない人格」をけん制しつつ、残り半分の「雅代グループ」で穏便にやっていこうじゃないかと...

手のつけられない人格の世話は夫に任せます。頑張れ夫!(笑)

私は、息子に対してすら嫉妬を覚えて、その感情を抑えるのが大変だった時期がありました。(そういう感情を持ってしまう自分への失望も相当なものでした)

嫉妬の内容は、
「幸せに育ってずるい」
という、非常に子供じみた、しかし切実なものでした。
自分の生育環境と比べてしまうのです。

これが娘だったら、さらにバージョンアップして、いちいち細かく自分と娘との境遇の違いを比較していたかもしれません。
正気を保つのは難しかったでしょう。しかし、完璧なお母さんでいるために、それらの感情を全て圧縮して、飲み込んで......

娘を虐待しないために頑張った1日のあと、私はすべての怒りを自傷行為として吐き出していたかもしれません。

娘に関することは、全て想像です。
実際に娘がいたとしたら全然違った現実だったかもしれません。
息子と同じように、良い関係を築けたもしれません。
ただ、私には自信が無いのです。

.......はて、どうして私は「もし自分が女の子を生んでいたら、という話題にこだわるんでしょうね?



私は主治医から
「貴女は理性と知性だけで無理やり形を保っているような人ね」
と言われたことがあります。

責任を負うことに関しては完璧主義です。

しかし、責任を自分が一手に引き受ける育児 というのは、ゴールも正解も無い、暗闇の中を手探りで進むような作業です。

私は虐待児童だったからこそ、自分の子供には絶対に、自分がしたような思いはさせたくないと心に誓っています。

そうするとどうなるか。
自分が想像する究極のお母さんを演じるしか無くなるわけです。
私はこれを、パーフェクトマザー願望と呼んでいました。

3歳くらいの、まだ "お母さんの限界" などには理解のない息子が、分厚い本(図鑑系)を読めと持ってくる。
読んでやる。
もう一度読んでと言われる。
読んでやる。
一回読むのに30分程度掛かる本を、毎日6回ほど繰り返し読まされていた時期もありました。当然6回目は声ガサガサ、喉は痛み、咳払いを何度もしながら必死で読むような状況でした。

5歳の頃の公園遊びもハードでした。ママ来て!と言われると断れない。大人が座ってギリギリ入れるくらいの藪のトンネルを息子が駆け巡る。私は座った姿勢のまま全速力でそれを追いかける。日が暮れるまで。

断れない。

どこまで子供の相手をしたらいいのかわからないから、求められるままに応じるしかない。

結果、私が入院しました。
気が狂うほど暑い夏の昼間に、マウンテンバイク用のコースで追っかけっこをした後のことでした。


私は、自分の大体の人格を把握しているつもりですが、「6歳ちゃん」だけは、神出鬼没で全く意思疎通することが出来ません。(漫画で、夫に対して「このパパは殴らないの?」と訊いていた人格)

彼女が「私」のコントロール権を持ったときは、他の人格はシャットアウトされ、記憶も残りません。
というわけで、彼女に関する話は、夫から聞くより他は無いのです。

しかし、夫から聞く「6歳ちゃん」は、本当に子供じみていて、本当に私が6歳だった頃の様子 (大人びた子供) とは全く別人のようなのです。

そのことについて、主治医に問うてみたところ

「乖離して出来上がった人格というのは、ある一部分が誇張されていたり、"本当はこういう私でいたい"という願望であったりします。だから子供時代の貴女そのものではないことは普通なのよ。
あと、全く記憶に残らない、というのは、"扱いきれない" ことに対する防御反応のことが多いわね」

とのことでした。
「6歳ちゃん」は、私にとって扱いきれない存在なのか......。

でも、いつか「6歳ちゃん」とも記憶を共有できたらいいな、と思います。

余談。
このような幼い人格が残っている場合、人格全体でみた場合の平均年齢が下がるそうです。実際私は年齢の割に若いです(良い意味でも悪い意味でも)。

また、これを抜きにしても、人格が分割されているために個々の人格の成熟が遅く、私は年齢の割に若......(後略)

(人格が統合されている健康な人の場合、全人格で人生経験を同時に積んで成長していきますよね。
私は、バラバラだから、"ある人格が体験していても、他の人格は体験していない"...という事態がおこり、体験していない人格は置いてけぼりを食うわけです)

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